高校古文についての疑問

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こんにちは。

本日は、学校で古文を教えていて思うところを書きます。

高校で古文を読むために古典文法や古語を暗記をしなくてはならないことに疑問を感じます。

この学習には多くの時間が必要です。しかし、多くの時間を使って古文を原典で読むことができるようになった頃に、古文の学習は終わります。残念でなりません。

古文の読解能力を養うことに多くの時間を使うより、もっとしたい授業があります。

上代(奈良時代)から近世(江戸時代)まで、10ぐらい作品を選び、掘り下げた授業がしたい。その時代なぜその作品が広く受け入れられたのか、全体としてどんな話なのか、その後どんな影響を他の作品また日本文化に与えたのか、海外への影響は、などいくらでもやりたいことはあります。

海外の文学との比較もいいと思います。ディベートの教材としても面白いと思います。

その際は現代語訳を用いましょう。もちろん、部分的に原典を使ってもいいと思います。しかし、それはその原典の理解を深めるためであって、一般的な古文の読解能力を養うためではありません。

作品理解の一助として、部分的な暗唱は賛成です。また、平家物語のように古典文法や古語をそれほど勉強していなくても読めるものは、原典を使いましょう。和歌は現代語訳とともに、例えば百人一首をいくつか暗唱するといったことはしたいと思います。

私は原典を学習する必要はないといっているのではありません。むしろ、原典理解の必要性を痛感するにつれ、それを高校での教育目的に掲げることに無理を感じるのです。文科省の「高等学校指導要領解説 国語編」でいう古典の「読む能力」の育成は現実と合っていないと思います。また、それを「目標」として設定することに疑問を感じます。

原典学習はぜひ大学でやりましょう。

中高校の間で広く古文に触れ、上代から近世まで有名な原典についての知識を持った上で、大学で古典文法や古語を学び、自分が選択した作品を一つか二つ原典で読んでほしい。これは文系も理系も必要だと思います。大学は専門学校ではありません。

日本の大学の一般教養として、ぜひ大学生には原典で古文に触れてほしい。

みなさんは、どう考えますか。

(2015.6.24.FACEBOOK一部改定)

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