新しい国語教育に求められるもの2ーー答えのない問いに対してどう答えるかで鍛える

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こんにちは。

新しい国語教育についてもう少し追加していきたいと思います。

国語教育についてはそれぞれの先生方がいろいろな方法で実施されています。しかし、これまでは、教科書の内容について先生がいろいろな深い読み方を持っていて、いろいろな問いを生徒に発しながらその読み方に到達させ、そしてその結果を覚えさせることによって、そのような読み方を生徒が自分でできるように促していく、という方法が一般的だったのではないかと思います。

このような方法が捨て去られることはないと思いますし、その有効性も否定されるべきではありません。この方法は、今後も続いていくことでしょう。しかし、この方法はもう中心を占めさせるべきではないように思えて仕方ありません。

そのような方法の基本的構造は特定の単元の特定の解答を暗記させ、その暗記量を測ることになっているように思います。テストでいろいろと書かせるといっても、それは入力の量や質を測っているものです。これからはそれよりも、出力自体の量や質を測ることが基本的な方法になる方がよいと思います。

もちろん、入力がなくなるというわけでは全くありません。これまで、暗記が国語の方法であり、それによって国語の評価がなされていたとはいっても、決して作文のような出力がなされていなかったわけはなかったことと同じです。しかし、入力はあくまで、出力のためであるというように、その位置付けを変えなくてはなりません。測られるのはあくまでも書くことであり、口頭での発表であり、議論での貢献度です。

「追い込む」のは、特定の時間でどれだけのものを覚えたか(※単純暗記だけではなく理解を伴った応用力を含む)、ということではなく、問いに対して特定の時間内でどのようなものを出力できたか、になるべきなのだと思います。

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