センター本試験2013年国語第3問古文 『松陰中納言物語』

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こんにちは。

本日は、2013年度センター本試験国語の第3問古文『松陰中納言物語』を見て行きましょう。

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はじめに

難易度はセンターとしては、やや難、と思います。点数差が大きく開く問題でしょう。王朝貴族系の古文の「やや難」は一番点数が開きます。

古文常識を含めた一定の古語・文法の知識があり、主語判定に注意しながら、文脈を丁寧に読み進むことができなければなりません。解けない問題ではありませんが一定レベルの知識がないと、また、丁寧に読み進める習慣、及び当日に適切な時間配分ができていないと、大きく点数を落とす問題です。

私の周囲では、古文は満点及び一問ミスの人も少なからずいれば、20点を割る人もかなりいるという結果でした。中途半端ではない学習が求められる問題です。

まず、前文を見てみましょう。

次の文章は『松陰中納言物語』の一節である。東国に下った右衛門督は下総守の家に滞在中、浦風に乗って聞こえてきた琴の音を頼りに守の娘のもとを訪れ、一夜を過ごした。以下の文章は、それに続くものである。これを読んで、後の問いに答えよ。

主な登場人物は「右衛門督」と「守の娘」です。前文に書かれている登場人物は、丸をするなり印をつけて印象に残すようにしておきましょう。また「一夜を過ごした」とあるので男女関係を持ったことが示されています。

「琴の音を頼りに」というきっかけ部分も押さえておく必要があります。ここらへん雑に読むと後で痛い目にあいます。

では本文ですが、まだ、その前に。今回、試験終了後、受験生が古文について一様に言ったのが「主語が取りづらかった」ということです。主語判定をする上での知識を簡単に確認しておきましょう。

以下、主語判定に関わる一般的知識を引用形式で示します。この後も同様です。

まず、敬語です。地の文で尊敬語が使われていれば、その動作の主体は尊敬に値する、身分が高い人、ということです。

次に、助詞です。已然形に「ば・ど・ども」が接続している場合、その前後では主語が変わりやすくなっています。連体形に「に・を」が接続している場合もそうです。これは「に・を」が格助詞でも接続助詞でも同様です。逆に主語が変わりにくいのが、連用形に「て」が接続している場合です。これは接続助詞の「て」です。

さて、最初に全体像を掴みやすいように原文全文と現代語訳を提示しておきます。現代語訳については受験生の学習の便を考えて、基本的には直訳しています。わかりづらいところは、後で解説をしていますので、そちらを参考にしてください。

原文

 つとめて、御文やらせ給はんも、せん方のおはしませねば、(ア)いと心もとなくて過ぐし給ひけるに、主人のまゐり給うて、「昨日の浦風は、御身には染ませ給はぬにや。いと心もとなくて」と(注1)啓し給へば、琴の音にやあるらんと思して、「めづらしき色香にこそ候へつれ。唐琴にや、ゆかしくこそ」とのたまはすれば、思はずながら取り寄せつ。調べさせ給ひて、「波の音に立ちまさりけるも、むべにこそあなれ」とて、箱に入れさせ給ふとて、御文を緒に結びつけさせて、「これ、ありつる方へ」とて、差し置かせ給へば、持て入りぬ。女君は、琴を召しけるを、あやしと思して、開けて見させ給へば、(イ)飽かざりし名残をあそばして
  「A あひみての後こそ物はかなしけれ人目をつつむ心ならひに
  今宵は、いととく人をしづめて」
とありけれども、いかにせんとも思ひわき給はず。幼き弟君の、「(注2)客人の方へまゐらんに、扇を昨日、海へ落とし侍り。賜はらむ」とのたまひにおはす。何の、よきことと思して、端に小さう書き給ひて、「この絵は、おもしろう書きなしたれば、殿に見せさせ給へ。さもあらば、小さき犬をこそ、賜ひぬべけれ」とうち笑ませ給へば、よろこぼひて、母君の方へまゐらせ給ひて、「扇をこそ、賜はりつれ」とて、見せさせ給へば、歌を見つけ給うて、あやしきことに思す。なほ、気色を見ばやと、後に立ちて、屏風の隠れより覗き給へり。「この扇の絵を見せさせ給へ。姉君の、かくこそ」とのたまへれば、まことに(ウ)いみじくこそ書きなしつれとて、見給へれば、
  B かなしさも忍ばんことも思ほえず別れしままの心まどひに
 今朝の琴の返しならむと思して、「この扇は、我に賜ひなん。犬をこそ、まゐらすべかめれ。京にあまたありつれば、取り寄せてこそ、そのほどに」とて、黄金にて造りし犬の香箱を賜はせて、「姉君に見せ給へかし」とのたまへれば、持て入り給へるを、母君、いとどあやしと思して、「我にも見せよかし」とて、取りて見給へるに、Xさればよ、昨日の琴の音をしるべにこそし給ふらめと思せど、気色を見えじと、もて隠し給へり。姉君の方へおはして見せ給ひつれば、「我がものにせん」とて、取らせ給ひて、「この犬をこそ」とのたまはすれば、「(注3)我が言葉は違ふまじければ」とて、蓋を取りて見給ひければ、内の方に、
  C 別れつる今朝は心のまどふとも今宵と言ひしことを忘るな
惜しくは思せど、人もこそ見めとて、掻い消ち給へり。
 母君は、忍びますらんも心苦しからむとて、(注4)右近を召して、「今宵、殿の渡り給はんぞ。よくしつらひ給へ。行く末、頼もしきことにてあるなれば」とのたまはすれば、さればよ、今朝よりの御ありさまも、昨日の(注5)楽を弾き替へ給ひしも、心もとなかりつればとて、かくとも言はで、几帳かけ渡し、隈々まで塵を払へば、「蓬生の露を分くらむ人もなきを、さもとせずともありなん」とのたまへれば、「Y蓬の露は払はずとも、御胸の露は今宵晴れなんものを」とうち笑へば、いと恥づかしと思す。

現代語訳

 翌朝、(右衛門督は)お手紙を送りなさろうとするけれども、相手方がいらっしゃらないので、とても気を揉んで過ごしなさっていたところ、主人が参上なさって、「昨日の浦風は、お体に障りなさらなかっただろうか。とても心配で」と申し上げなさると、(右衛門督は)琴の音のことであろうか、とお思いになって、「すばらしい色香でございました。唐琴であろうか、見てみたく」とおっしゃるので、(主人は)意外に思うけれども取り寄せた。(右衛門督は唐琴を)お弾きになって、「波の音よりすぐれていたのも、当然であるようだ」と言って、箱に入れなさろうとして、お手紙を(唐琴の)弦に結び付けさせて、「これを、元のところへ」と言って、お置きになると、(主人は唐琴の持ち主である娘の部屋へ)持って入った。女君は、(父である下総守が)唐琴をお持ちになったことを、奇妙なことだとお思いになって、(戻された唐琴を)開けて見なさると、(右衛門督が)満足しきれない名残惜しさをしたためなさって、
  「A 結ばれて後のほうが物悲しい他人の目を気にする性分なので
  今夜は、とても早くを他の人を寝静まらせて(あなたの元へ行く)。」
とあったけれども、(女君は)どうしようとも判断がつきなさらない。幼い弟君が、「客人の右衛門督のところに参上するつもりだけど、扇を昨日、海へ落としております。ください。」とおっしゃりにいらっしゃる。(女君は)かえって、好都合とお思いになって、(扇の)端に小さく書きなさって、「この(犬の)絵はかわいらしく書き上げたので、殿に見せてください。そうするなら、きっと小さな犬を下さるだろう」と微笑みなさるので、(弟君は)とても喜んで、母君の所へ参上なさって、「扇をいただいた」と言って、見せなさると、(母君は扇に書いてある)和歌を見つけなさって、不思議なことにお思いになる。やはり、様子を見たいと、(弟君の)後から付いて行って、屏風で隠れている場所から覗きなさった。(弟君が)「この扇の絵をご覧ください。姉君がこのように」とおっしゃったので、本当にすばらしく書き上げた、と(右衛門督が)思って見なさったところ、
  B 悲しいとも人目を忍ぶことも考えることができない別れたまま心が揺れて
 今朝の琴(に託した後朝の手紙)の返歌だろうと(右衛門督は)お思いになって、「この扇は私に下さるがよい。犬を差し上げよう。都で沢山飼っていたので、取り寄せて、そのときに」と言って、(とりあえず代わりに)黄金でつくった犬の香箱を下さって、「姉君に見せなさいよ」とおっしゃったので、(弟君が犬の香箱を)持って帰りなさったのを、母君は、いっそう奇妙だお思いになって、「私にも見せなさいよ」と言って、取って見なさったところ、思った通りだ、昨日の琴の音を頼りにしなさっているのだろうとお思いになるけれども、(察したその)様子を見せまいとして、(箱を弟君に渡して)隠しなさった。(弟君が)姉君の方へいらっしゃって(犬の香箱を)見せなさったところ、(女君は)「私のものにしよう」と言って、お取りになると、(弟君は)「他でもないこの犬を(右衛門督は僕にくれると言った)」とおっしゃるので、(女君は)「私の言葉は間違っていないはずなので(私のものだ)」と言って、(犬の香箱の)蓋を取って見なさったところ、内側に、
  C 別れた今朝は気持ちが動揺するとしても、今夜(行く)と(私が)言ったことを忘れるな
(女君は)残念にはお思いになるが、他の人が見ると大変なことになるだろう、と思って、掻き消しなさった。
 母君は、(右衛門督が)こっそりといらっしゃるようなのも気の毒だ、と思って、右近をお呼びになって、「今夜、右衛門督様がいらっしゃるはずだ。しっかり準備してください。将来、期待できることなので」とおっしゃると、(右近は、)思った通りだわ。(女君の)今朝からのご様子も、昨日、右衛門督が笛で、女君が琴で合奏なさったのも、気になっていたので、と思って、こうとも言わずに、几帳に布をすっかり掛けて、隅々まで掃除をすると、(女君が)「蓬(のような野草)が生い茂る(粗末な)家の露を掻き分けてやって来るような人もいないので、そのようにまでしなくてもいいだろう」とおっしゃると、(右近は)「たとえ蓬の葉の露は払わなくても、お心のうちの涙は今夜きっと晴れるだろうに」と微笑むと、(女君は)たいそう気が引けるとお思いになる。

第一段落《後朝の手紙とその返歌》

では、細かく見ていきましょう。

つとめて、御文やらせ給はんも、せん方のおはしませねば、(ア)いと心もとなくて過ぐし給ひけるに、

翌朝、(右衛門督は)お手紙を送りなさろうとするけれども、相手方がいらっしゃらないので、とても気を揉んで過ごしなさっていたところ、

貴族の男女が関係を持った翌朝、男は一般に夜明け前に女のところから自邸に帰っているのですが、すぐに女の元に手紙を出すのが、マナーです。これを「後朝(キヌギヌ)の手紙」と言います。これは必須の古文常識です。

そして、前文に「次の文章は〜一夜を過ごした」後に続く場面とある以上、ここで手紙を出そうとするのは「右衛門督」ですし、「せん方」である女性方がいないことによって、「心もとなく」なるのは、つまり傍線部アの主語は「右衛門督」です。なお、前文に書いてある通り、右衛門督は下総守のもとで世話になっているので、自邸に戻っているわけではありません。同じ屋敷にいます。

あとは必須古語「心もとなし」についての知識、及び先に記したように前文を丁寧に読んでいれば、意味は大体取れるはずです。「心もとなし」は、心が落ち着かない感じ全般を言い、訳語としては、①じれったい、②不安だ、③はっきりしていない、を覚えておきましょう。

ではここで、傍線部アが問1で問われていますので見てみましょう。

問1(ア)【解釈】

問1は解釈が問われています。選択肢は次の通りです。私の判断で「ここが消しやすい」というところを消しています。

① そんなに気にも留めずに見過ごしていらっしゃった ② たいそう気をもんで時を過ごしていらっしゃった ③ ひどく不安に思ってそのままにしていらっしゃった ④ それほど楽しくもないまま過ごしていらっしゃった ⑤ たいへんぼんやりと日を送っていらっしゃった

まず、「いと」は打消と呼応することで部分否定になりますが、ここではそのような呼応関係がありませんので①④を消します。次に、「過ぐし」を③のように「そのままにし」と解釈するのは変ですし、⑤のように「日を送っ」というのは、朝だけのことなのでこれも不適切な訳です。以上により②が正解です。

では、本文を続けます。

主人のまゐり給うて、「昨日の浦風は、御身には染ませ給はぬにや。いと心もとなくて」と(注1)啓し給へば、

主人が参上なさって、「昨日の浦風は、お体に障りなさらなかっただろうか。とても心配で」と申し上げなさると、

「主人」とあるのを、誰だこれは、と思わないようにしましょう。「右衛門督は下総守の家に滞在中」と前文にあります。ですから、ここでは「主人」とは「下総守」です。そして、地方の守というものは、その地方在住の庶民からすれば雲の上の人かも知れませんが、それと同様に、地方の守からすればこれまた中央の貴族は雲の上の人なのです。ですから、「主人」が「右衛門督」に気を使っているのも自然なことです。これは古文常識の範疇に入るでしょう。

ところで、「啓し給へば」に注釈1〔「啓す」は、ここでは右衛門督に敬意を表すために使用している〕が付いているのは、普通「啓す」という言葉は中宮などに対してのみ用いられる絶対敬語ですから、受験生に無用の混乱をさせないための配慮です。

さて、「主人」が主語であるのが、「まゐり給うて」から最初の会話文の後の「啓し給へば」までであることに注意しましょう。前述の、「て」の前後では主語が変わらなくて、「ば」で主語が変わる、の法則通りです。

本文を進めます。

琴の音にやあるらんと思して、「めづらしき色香にこそ候へつれ。唐琴にや、ゆかしくこそ」とのたまはすれば、

(右衛門督は)琴の音のことであろうか、とお思いになって、「すばらしい色香でございました。唐琴であろうか、見てみたく」とおっしゃるので、

一つ前の「啓し給へば」の「ば」で主語が変わります。ここでは右衛門督と主人の会話であることから当然、主語は右衛門督に変わります。右衛門督は主人の「昨日の浦風~」という言葉を、(浦風に乗って聞こえてきた)琴の音のことを主人は言っているのだろうか、と推測します。

問題は、ここで右衛門督が「浦風」を「琴の音」と推測しているにしても「すばらしい色香」と答えていることです。「琴の音」を「色香」と捉えるのは難しいと思います。琴を弾いていた「守の娘」との逢瀬を思い出し、思わず口をついて出た言葉でしょうか。

古語「ゆかし」の意味「見たい・聞きたい・知りたい等」は必須です。必ず覚えておきましょう。「のたまはすれば」は「已然形+ば」の形になっていますので、ここで主語が変わります。

思はずながら取り寄せつ。

(主人は)意外に思うけれども取り寄せた。

前の「のたまはすれば」の「ば」までは、右衛門督が主語でした。その「ば」を境に主語が変わりますから、「思はずながら、取り寄せつ。」は主人が主語ですね。「取り寄せつ」に尊敬語が用いられていないことも手がかりになります。「思はずながら」となっているのは、主人は「浦風」のことを聞いていただけなのに、話が「唐琴」になってしまい展開がよくわからないからです。

調べさせ給ひて、「波の音に立ちまさりけるも、むべにこそあなれ」とて、箱に入れさせ給ふとて、御文を緒に結びつけさせて、「これ、ありつる方へ」とて、差し置かせ給へば、持て入りぬ。

(右衛門督は唐琴を)お弾きになって、「波の音よりすぐれていたのも、当然であるようだ」と言って、箱に入れなさろうとして、お手紙を(唐琴の)弦に結び付けさせて、「これを、元のところへ」と言って、お置きになると、(主人は唐琴の持ち主である娘の部屋へ)持って入った。

「調べさせ給ひて」の主語は右衛門督に変わっています。句点を境に主語が変わることはよくあります。また、ここは「させ給ひ」と二重尊敬になっていることに注意しましょう。冒頭の「御文やらせ給はんも」も二重尊敬でしたが、そこでの主語は右衛門督でした。下総守が主語の場合、二重尊敬になることはありません。

ここで少し、尊敬語を手がかりにした主語判定の一般的知識を確認しておきましょう。

地の文において、誰にどのレベルの敬意の尊敬語を用いるのかは、だいたい統一が取れているものです。二重尊敬の人には二重尊敬、ただの尊敬の人にはただの尊敬、というように統一が取れています。主語判定の重要テクニックです。

さて、ここで尊敬語について、「あれ、地の文での二重尊敬は天皇や上皇、中宮といった皇族でのトップクラス、もしくは藤原道長みたいなその時の最高権力者に対してぐらいじゃなかったっけ」と思う人がいるかも知れません。その知識はその知識で正しいのですが、それは基本的には平安時代の規則です。鎌倉時代からは中将など、平安時代の書き手の感覚からすれば、そこまで高くない身分の人々に対しても二重尊敬が地の文で使われています。

『松陰中納言物語』は室町時代の作品ですからね。

さて、「調ぶ」は、ここでは「(楽器を)弾く」という意味であって、「調査する」という意味ではありません。現代語でも、例えば、フルートの調べ、とか言いますよね。また、助動詞の「す」「さす」が多く使われていますが、「結び付けさせて」の「させ」以外は全て尊敬で解釈するとよいでしょう。「結びつけさせて」の「させ」は使役です。

「す」「さす」については、直後に尊敬語が接続していなければ、使役で解釈してください。もし、直後に尊敬語が接続していれば尊敬か使役かのどちらかです。文意で判断するしかありません。一般的には、主語が二重尊敬を受ける対象ではないならば使役、また、使役対象がはっきりしていないならば尊敬、というような考え方をします。

では、本文に戻り、右衛門督という主語がどこまで続くのか、ということですが、「調べさせ給ひて~入れさせ給ふとて~結びつけさせて~差し置かせ給へば」までです。助詞に着目して主語判定をする、の法則通りです。

「『結びつけさせて』に全く尊敬語がついてないのはどういうことなんだ、ここで混乱した」という受験生もいると思います。ここでも、やや細いですが、尊敬語と接続助詞「て」の関係した主語判定の一般的知識を確認しておきましょう。

接続助詞「て」を挟んで主語が同じ貴人の場合、「て」の前では敬意の度合いが一段階軽くなることがよくあります。細かいかも知れませんが知っておいたほうがいいでしょう。例えば、主語が天皇の場合、「て」の前では「~給ふ」のようにただの尊敬語で、「て」の後は「~せ給ふ」「~させ給ふ」のように二重尊敬になっていることはよくあります。

もっとも、「結びつけさせて」と「差し置かせ給へば」といった表現は、尊敬語がない表現と二重尊敬の表現で敬意のレベルに大きな差があるので珍しい例です。「結びつけさせて」の「させ」が使役であることを明確にしたかったのですかね。「させ」は前述のように尊敬語の「給ふ」に続かない場合は使役の用法で確定しますからね。

さて、「緒」とはここでは琴の弦のことで、「ありつる」は定訳が「さっきの」ですが、「元の」と訳しました。

次に、場面は「守の娘」のところに移ります。ここで改行して、全体での形式段落を三つではなく、四つとしたほうが受験生には本文を読み取りやすかったかも知れません。内容的には、主題を「後朝」でまとめるためにここでは分けない、とする考え方も確かに可能だとは思うのですが、主語判定というか、場面の切り分けというか、そういう点ではここでの改行もありだったと思います。ここらへん問題作成者側もいろいろ考えた上での判断だったのでしょう。

女君は、琴を召しけるを、あやしと思して、開けて見させ給へば、(イ)飽かざりし名残をあそばして 「A あひみての後こそ物はかなしけれ人目をつつむ心ならひに 今宵は、いととく人をしづめて」 とありけれども、いかにせんとも思ひわき給はず。

女君は、(父である下総守が)唐琴をお持ちになったことを、奇妙なことだとお思いになって、(戻された唐琴を)開けて見なさると、(右衛門督が)満足しきれない名残惜しさをしたためなさって、 「A 結ばれて後のほうが物悲しい他人の目を気にする性分なので 今夜は、とても早くを他の人を寝静まらせて(あなたの元へ行く)。」 とあったけれども、(女君は)どうしようとも判断がつきなさらない。

「女君」は貴族の女子を敬った言い方なので「守の娘」を指します。「恋人・妻」を指すこともあります。そして、その「女君」は、父の下総守が自分の唐琴を持って行ったことを、変だ、と思います。それはどうして娘の楽器に父が用があるのかわからないからですね。

「召しける」の主語は、女君ではなく下総守であることに注意しましょう。「ける」という過去の助動詞が使われていますから。もちろん、父が直接取りに来たわけではなくて、女房か誰かに持って来させたのだとは思います。

ところで、古文常識として、琴を弾くのは女性である、ということを覚えておきましょう。もっとも、『源氏物語』の光源氏は男性ですが琴の名手ということになっています。光源氏は万能な人物という設定なので例外です。男性は笛が一般的です。

さて、返却された琴を入れた箱を開けてみると、右衛門督からの後朝の手紙が入っていたのでした。少し前で、「琴の緒」に結びつけていたものです。「見させ給へば」が「已然形+ば」の形になっていますので、ここで主語が変わっています。傍線部(イ)から、主語は右衛門督です。

問1(イ)【解釈】

問1(イ)「飽かざりし名残をあそばして」は、そのような、右衛門督から女君への後朝の手紙という文脈の中で解釈すると、正解を選びやすくなるはずです。ただ、重要なのはやはり語彙力でしょうか。

「飽く」が「飽かず」というように否定語を取る場合、「飽きない」という肯定的な意味もないわけではありませんが、「満足できない・満ち足りない」という否定的な意味で使うのが普通です。そうすると②か④が正解で、②は、右衛門督からすると守の娘と一夜を過ごせている以上、かりに「物足りなかった」としても、「逢瀬の悲しみ」という表現は不自然なので、④が正解、ということになります。また、「名残」という言葉の、過ぎ去った後の影響、という意味からも、「逢瀬の悲しみ」より「別れた思い」のほうが適切です。以上により④が正解です。

① 語りつくせなかったつらさを琴の音にこめられて ② 物足りなかった逢瀬の悲しみを何度も思い返されて ③ 見飽きることのない面影を胸に思い浮かべなさって ④ 満ち足りないままに別れた思いをお書きになって ⑤ 聞き飽きることのない琴の余韻に浸っておいでになって

さて、右衛門督の手紙には後書きに、「今夜は、とても早くを他の人を寝静まらせて(あなたの元へ行く)。」とありました。静かにさせるのは、尊敬語が使われていないところから考えると右衛門督自身でしょう。もしも、女君に対して、周囲の人々を静かにさせておいてください、という趣旨ならば、尊敬語が使われているでしょうから。

「~とあり」という尊敬語をともなわない表現が使われていますが、これは貴人の手紙を受ける場合の普通の表現で、帝からの手紙でも「~とあり」と受けます。尊敬語になっていないからといって混乱しないようにしてください。そして右衛門督からの手紙に対して、どうしようとも女君は判断がつきません。「ども」で主語が女君に変わっていることに注意しましょう。「已然形+ば・ど・ども」の場合に主語が変わりやすいのでしたね。

幼き弟君の、「(注2)客人の方へまゐらんに、扇を昨日、海へ落とし侍り。賜はらむ」とのたまひにおはす。

幼い弟君が、「客人の右衛門督のところに参上するつもりだけど、扇を昨日、海へ落としております。ください。」とおっしゃりにいらっしゃる。

注釈2で「客人」が「右衛門督」であり「殿」とも言われていることが明らかにされています。弟君が、扇を落としたのでください、と言っているのは、衣冠や直衣のときに、笏の代わりに檜扇を持つからです。衣冠は貴族の正装で、直衣は貴族にとっての仕事上の普段着です。笏は板のようなものです。もともとは持っている人から見えるところにメモ書きなどをしておくものでした。ここで弟君は直衣で右衛門督のところへ行こうとしているのでしょう。

女君=姉君のところへ弟君がやって来ていることは、この前の部分からのつながりでわかるはずです。なお、「おはす」の後の句点で主語が変わります。句点で主語が変わることがしばしばある、と頭に入れておきましょう。

何の、よきことと思して、端に小さう書き給ひて、「この絵は、おもしろう書きなしたれば、殿に見せさせ給へ。さもあらば、小さき犬をこそ、賜ひぬべけれ」とうち笑ませ給へば、

(女君は)かえって、好都合とお思いになって、(扇の)端に小さく書きなさって、「この(犬の)絵はかわいらしく書き上げたので、殿に見せてください。そうするなら、きっと小さな犬を下さるだろう」と微笑みなさるので、

女君に主語が変わることは、文意で判断します。ここで新たな登場人物はいませんし、文意から弟君ではさすがに変だと気づきたいところです。

扇の端に書いたのは、もちろん、犬の絵なのですが、それだけではなく、後を読めばわかる通り、右衛門督からの後朝の手紙に対する返事も書いています。「かえって、好都合」というのは、女君にとって弟が扇をもらいに来たことは気に入らないことなのでしょうが、後朝の手紙の返事を出さなくてはならない女君にとっては、右衛門督に手紙を届けるために都合のよいことだったからです。

どうして右衛門督が弟君に犬をくださるのか、ここを読んだだけではわかりづらいところですが、右衛門督は女君からの後朝の手紙の返事を読んで手元に残すために、この扇を犬の絵にかこつけて弟君からもらおうとするはずだから、その扇の代わりに犬を下さると言うはずだ、という女君の推測があるからです。読解するのは難しいところだと思います。

さて、「うち笑ませ給へば」と、「已然形+ば」がありますので、ここで主語が変わって、弟君が主語になります。

よろこぼひて、母君の方へまゐらせ給ひて、「扇をこそ、賜はりつれ」とて、見せさせ給へば、

(弟君は)とても喜んで、母君の所へ参上なさって、「扇をいただいた」と言って、見せなさると、

女君と弟君が会話している場面なので、主語が変わるとするならば弟君になるはずです。「よろこぼひて」「まゐらせ給ひて」と「て」で続くところは主語が変わらず、「見せさせ給へば」の「已然形+ば」で主語が変わります。

「まゐらせ給ひて」の「せ」、「見せさせ給へば」の「させ」、の用法が難しいところですが、どちらも尊敬で解釈し、二重尊敬になっていると考えるしかないと思います。なぜ、弟君に対して地の文で二重尊敬が用いられているのか不自然な気もしますが、使役でとるには使役対象が曖昧で、こちらの解釈の方が無理があるでしょう。

歌を見つけ給うて、あやしきことに思す。なほ、気色を見ばやと、後に立ちて、屏風の隠れより覗き給へり。

(母君は扇に書いてある)和歌を見つけなさって、不思議なことにお思いになる。やはり、様子を見たいと、(弟君の)後から付いて行って、屏風で隠れている場所から覗きなさった。

弟君は母君の所へ行ったので、主語が変わるとすると、母君になるはずです。ここで「立つ」という言葉は現代語の「立つ」の意味だけでなく、行く・来る、という意味あいが加わっていることに注意しましょう。現代語でも「旅立ち」とか言いますよね。

母君さすがですね、和歌が書かれていることにすぐ気づきます。

なお「覗き給へり。」の句点で主語が変わり、次は再び弟が主語になって右衛門督に話しかけています。句点で主語が変わるところは本当に曲者です。

「この扇の絵を見せさせ給へ。姉君の、かくこそ」とのたまへれば、

(弟君が)「この扇の絵をご覧ください。姉君がこのように」とおっしゃったので、

主語が変わっていることは文意で判断することになります。絵を見せる役回りは弟君ですから、それほど無理はないと思います。

「のたまへれば」とありますので、くどいですが、「已然形+ば」で主語が変わります。話しかけられた右衛門督が今度は主語です。「れ」は完了の助動詞「り」の已然形です。

まことに(ウ)いみじくこそ書きなしつれとて、見給へれば、

本当にすばらしく書き上げた、と(右衛門督が)思って見なさったところ、

助動詞「つれ」の用法は完了です。助動詞「れ」の基本形は「り」であり完了です。なお、ここも「見給へれば」で主語が変わります。

B かなしさも忍ばんことも思ほえず別れしままの心まどひに

B 悲しいとも人目を忍ぶことも考えることができない別れたまま心が揺れて

さきほど「見給へれば」とありましたので「ば」を境にして、ここで主語は右衛門督から、女君に変わります。和歌の詠み手が女君ということですね。

「かなしさ」とはAの和歌の「かなしけれ」を、「忍ばんこと」は「人目をつつむ」を、「心まどひに」は「心ならひに」を受けた表現です。このように男女が気持ちを交わし合う歌の形式を贈答歌と言います。贈答歌での返歌は、最初の和歌中の表現を取り込んで返すのが普通です。そうして、同じ言葉を用いつつも、そこに新たな趣向を盛り込みます。なお、上記のように三つも取り込むことはそう多くありません。

問1(ウ)【解釈】

では、問1のウを行きましょう。「いみじくこそ書きなしつれ」は、少し前の女君の会話文にある「おもうしろう書きなしたれ」を受けています。

古語「いみじ」は、程度が甚だしい意で、肯定的な意味でも否定的な意味でも用います。ここで①と⑤は消すことができます。④の「とりわけ」も、複数ある中で一番、というニュアンスが強いので、これもここで消してよいでしょう。あとは、どう「いみじ」なのかという点について、「おもしろし」の意味がわかっていれば、③の「ことさらに美しく書き上げてある」しかありません。「おもしろし」は、「趣深い」という訳語が定番ですが、これで十分答えは出ます。

① いつもより丁寧に書き込んである ② ひどく悲しげに書き入れてある ③ ことさらに美しく書き上げてある ④ とりわけ得意げに書き加えてある ⑤ いかにも愛情深く書き表してある

この和歌の後で形式段落が変わります。形式段落の最後に和歌が来る、というのはよくある構成です。まだ馴染みがない人もいるかも知れませんが、是非これを機会におぼえておいてください。和歌6首が本文中にあり受験生をパニックに陥れた2010年度センター本試験「恋路ゆかしき大将」も、この構成でした。

本文ではここで、後朝の手紙についての贈る行為と答える行為の形式的な組み合わせが成立しています。内容的には次の段落も続いていますが、次の段落の、犬の香箱に託して右衛門督が手紙をあらためて贈る行為は、新たな展開と捉えたほうが本文の整理がつきやすいでしすし、形式段落を分けている以上、それが出題者側の意図と考えるべきです。

問5【和歌】

第二段落に進む前に、問5を見ておきましょう。問5は和歌に関する設問で、本当はA(※最初の右衛門督の和歌)とB(※女君の返歌)だけではなくCも検討しなくてはならないのですが、AとBを読解したら、この設問はもう答えが出てしまいます。

実際に設問を解く段階でも、とりあえずAとBの和歌を理解した段階で設問に挑戦し、AとBの和歌の説明について選択肢の間違っているところにバツをつける、という手順を踏むことをお勧めします。全部読み終わってから解こうとすると、細かいところを忘れてしまいます。

また、ここで選択肢の確認の方法なのですが、まだセンター形式に慣れていない受験生は選択肢番号のところにマルやバツの印をつけがちです。しかし、このやり方は早いうちにやめたほうがよいと思います。それよりも、間違っているところに傍線を引くなりしてバツを書き込んでください。読解が正確になりますし、復習が厳密にできます。もちろん、全く見当違いの選択肢はかまわないのですが。

また、和歌の設問を解くときには、実際に手を動かして五七五七七で切れ目を入れて考えてほしいと思います。Aの和歌の場合、「あひみての/後こそ物は/かなしけれ/人目をつつむ/心ならひに」、というようにです。もちろん頭の中で見当をつけることはできると思うのですが、頭の中は余計なことに使わないほうがよいです。考えた結果は即書き込むことです。睨んで答えを出すのではなく、高速で手を動かしながら読むことが、高速の精読が求められる入試ではお勧めです。

さて、一般論を長く書いてしまいました。以下に和歌ABの解釈に基づいて、選択肢の明らかな間違い部分に取り消し線をつけています。和歌Cの解釈を待たずとも答えが出ることがわかります。もちろん、和歌Cの解釈も踏まえ、間違いには取り消し線をつけています。

① Aは右衛門督の歌で、つねに人目を気にせずにはいられないために、思うように会いに行けず、会う前よりも募る恋の苦しみを詠んでいる。Bは女君の歌で、別れた後は悲嘆にくれて分別がつかなくなってしまい、右衛門督のもとに忍んで行く手段も思いつかないと訴えている。

② Aは右衛門督の歌で、会って愛情は深まったのに人目を気にするために昼間は会いに行けず、恋が成就した今になって、さらに募る恋情を詠んでいる。Bは女君の歌で、別れた後の心の乱れのために、右衛門督とは違って悲しみに浸つたり人目を気にしたりする心の余裕がないと訴えている。

③ Aは右衛門督の歌で、ともに演奏を楽しんだのに一向に進展しない二人の仲を悲しく思い、人目を気にしがちな女君への不満を詠んでいる。Cも同じく右衛門督の歌で、別れた直後の今朝、冷静さを失って思わず書いた今夜の再会の約束を、真剣に受け止めるよう念を押している。

④ Bは女君の歌で、別れた後の乱れてしまった心のまま、右衛門督を恋い慕う感情と、恋心を抑えねばならないという理性が入り乱れた状態だと訴えている。Cは右衛門督の歌で、どれほど思い乱れているとしても、二人で交わした今夜の再会の約束は忘れないでほしいと念を押している。

⑤ Bは女君の歌で、別れる際に心をかき乱されたつらさに加えて会えない悲しみに堪え続けることの苦しさをも訴えている。Cは右衛門督の歌で、別れた直後の今朝はどれほど心がかき乱されていたとしても、自分が今夜訪れると言つた言葉を忘れずに待っていてほしいと念を押している。

なお、細かいことですがここで「忍ぶ」が「忍ば」と四段活用の未然形になっています。古典文法を学習する段階では「忍ぶ」は四段活用ではなく、上二段活用として学びます。どうしてこのような違いが生じているのかというと、古典文法は平安時代後期のものを基準として私たちは勉強しているからです。本問題の出典である『松陰中納言物語』は室町時代の作品ですので、違いが出てきています。

第二段落《母君の察知》

では、二段落に入りましょう。

今朝の琴の返しならむと思して、「この扇は、我に賜ひなん。犬をこそ、まゐらすべかめれ。京にあまたありつれば、取り寄せてこそ、そのほどに」とて、黄金にて造りし犬の香箱を賜はせて、「姉君に見せ給へかし」とのたまへれば、

今朝の琴(に託した後朝の手紙)の返歌だろうと(右衛門督は)お思いになって、「この扇は私に下さるがよい。犬を差し上げよう。都で沢山飼っていたので、取り寄せて、そのときに」と言って、(とりあえず代わりに)黄金でつくった犬の香箱を下さって、「姉君に見せなさいよ」とおっしゃったので、

「今朝の琴の返しならむと思して」という表現から、文意の上で主語は右衛門督と判断します。そして「思し」「賜はせ」「のたまへ」は、全て右衛門督が主語です。「思し」「賜はせ」の後はいずれも接続助詞の「て」で、主語は共通している可能性が高いことに気づいてほしいと思います。

「のたまへれば」と、「已然形+ば」、がありますので、ここで主語が変わります。「れ」は前述と同じく完了の助動詞「り」の已然形です。

持て入り給へるを、母君、いとどあやしと思して、「我にも見せよかし」とて、取りて見給へるに、Xさればよ、昨日の琴の音をしるべにこそし給ふらめと思せど、気色を見えじと、もて隠し給へり。

(弟君が犬の香箱を)持って帰りなさったのを、母君は、いっそう奇妙だお思いになって、「私にも見せなさいよ」と言って、取って見なさったところ、思った通りだ、昨日の琴の音を頼りにしなさっているのだろうとお思いになるけれども、(察したその)様子を見せまいとして、(箱を弟君に渡して)隠しなさった。

「持て入り給へる」の主語が弟君であることは、前述の「已然形+ば」に注意できていれば、見当はつくと思います。

「さればよ」という表現は、慣用句として覚えておきたい表現です。「だから(言ったじゃないか)」「だから(思っていたんだよな)」のようなニュアンスの言葉で、定訳としては「やっぱり」「思った通り」などです。

「見給へるに」が「連体形+に」になっていますので、ここで主語が変わりそうなのですが、変わりません。ただし、母君の心中表現になります。このパターンは『松陰中納言物語』ではよく出てきます。「さればよ、昨日の琴の音をしるべにこそし給ふらめ」が心中表現部分です。「さればよ」という表現は口語的な表現ですので、地の文としては不自然ですから、ここは心中表現になっている、と捉えることができます。普段から心中表現は山括弧をつけるなどして、地の文と区別するように習慣付けておくのもよいと思います。

「見え」の基本形は「見ゆ」ですが、ここでは「見える」ではなく「見せる」と訳します。時々この「見せる」という意味で解釈することがありますので、注意したいところです。

問題は「もて隠し」が、何を隠したのか、ですが、正直確定しづらいところです。手に持った香り箱を隠した、つまり、女君の弟に返した、と解しておきます。

問3【主体と心情】

さて、問3の傍線部X「さればよ」です。設問は、「誰が、どのようなことを思ったのか」となっています。前述の読みに基づいて間違っているところに取り消し線をつけています。傍線部Xまでの母君の様子、「さればよ、昨日の琴の音をしるべにこそし給ふらめ」が母君の心中表現であり、その文意が理解できていれば、解答できます。

① 女君が、琴の音色にひかれて訪れた右衛門督と心を通わせたのも、弟君を介して母君に知られないように文のやりとりができたのも、何かの縁があったからだと悟り、不思議な運命に導かれていると思った。

② 女君が、弟君を介した右衛門督との密かなやりとりを母君に見破られ、二人の仲を怪しまれたことに気づき、やはり隠し通せなかったとあきらめながらも、気まずい気持ちを母君に悟られたくないと思った。

③ 母君が、右衛門督と女君の間でやりとりが交わされているのに気づき、ぎこちない様子を歯がゆく感じながらも、口をはさんで二人の仲が表ざたになってしまうと困るので、見て見ぬふりをしようと思った。

④ 母君が、沈み込んでいた娘の様子を見て心配していた通り、案の定、女君が右衛門督の洗練された様子に心を奪われて、何も手につかなくなっているのだとわかり、大変なことになってしまったと思った。

⑤ 母君が、弟君の持っていた扇に書き添えてあった和歌を読んで不審に思っていた通り、右衛門督と女君がすでに心を通わせていて、今夜再び会おうとしていることがわかり、喜ばしいことだと思った。

以上より、正解は⑤になります。なお、厳密に言えば、⑤の「今夜再び会おうとしている」ということを母君が理解しているのかどうかはここまで読んだだけではわかりません。ここまでの本文の解釈に基づいて選択肢の間違っているところを消していくと、⑤しか残らないというのが正確なところです。犬の香箱の内側に書かれている右衛門督のCの和歌を解釈した時点で、母君が理解していたことがわかります。

さて、次です。句点を挟み主語が弟君に変わります。

姉君の方へおはして見せ給ひつれば、「我がものにせん」とて、取らせ給ひて、「この犬をこそ」とのたまはすれば、「(注3)我が言葉は違ふまじければ」とて、蓋を取りて見給ひければ、

(弟君が)姉君の方へいらっしゃって(犬の香箱を)見せなさったところ、(女君は)「私のものにしよう」と言って、お取りになると、(弟君は)「他でもないこの犬を(右衛門督は僕にくれると言った)」とおっしゃるので、(女君は)「私の言葉は間違っていないはずなので(私のものだ)」と言って、(犬の香箱の)蓋を取って見なさったところ、

「姉君」という言葉が使われていることから、主語が弟君に変わっていることがわかります。そして、「見せ給ひつれば」が「已然形+ば」になっていて、ここで主語が弟君から姉君に変わります。

問題は「取らせ給ひて」の後で主語が弟君に変わっていることです。接続助詞「て」の前後はあまり主語が変わらないのにもかかわらず変わっています。「て」の前後でも、時には主語が変わることがあるのです。

手がかりは注釈3です。会話文中の「我が言葉」に対して、「扇を渡すときの『小さき犬をこそ、賜ひぬべけれ』という言葉を指す」と注が付いています。これは女君(姉君)が言った言葉でした。とするならば、「『この犬をこそ』とのたまはすれば」の主語を弟君と考え、「のたまはすれば」が「已然形+ば」となっていますので、さらに主語が変わって、「『我が言葉は違ふまじければ』とて、蓋を取りて見給ひければ」の主語を女君と考えるのが、一番整合性の取れる解釈になります。

もっとも、そのように主語を理解したとしても、ここは何を言っているのかわかりづらいと思います。正直なところを言えば、試験時間内でここを正確に解釈するのは難しいでしょう。ですから、設問にはなっていません。

さらに言うならば、上記の現代語訳を読んでも、どうして「我が言葉は違ふまじければ」が、女君が犬の香箱を弟君から奪い取る理由になりえるのか、わかりづらいことと思います。恐らくは、私が言った通りあなたは後で本物の犬をもらえるから、この犬の香箱は私にくれてもいいじゃない、ということではないでしょうか。

さて、香箱の蓋を取ってみると、右衛門督からの和歌がありました。口説いですが「蓋を取りて見給ひければ」が「已然形+ば」で主語が変わります。

内の方に

C 別れつる今朝は心のまどふとも今宵と言ひしことを忘るな

内側に

C 別れた今朝は気持ちが動揺するとしても、今夜(行く)と(私が)言ったことを忘れるな

和歌の趣旨は、少し前に右衛門督が「今宵は、いととく人をしづめて(=今夜は、とても早く従者を静かにさせて(あなたの元へ行く))」と言ったことの念押しです。

惜しくは思せど、人もこそ見めとて、掻い消ち給へり。

(女君は)残念にはお思いになるが、他の人が見ると大変なことになるだろう、と思って、掻き消しなさった。

「惜しくは思せど」の主語が女君に変わっている点については、文意から読み取ってほしいと思います。大切な人の文字を消してしまうのはとても残念なことです。古代においては文字はその人の一部のようなものです。

また、逆説の「ど」の後も主語が変わりやすいのですが、ここも少し前と同じように心中表現が続いているだけで主語は変わっていません。「人もこそ見め」が女君の心中表現です。「もこそ」の訳し方は「〜すると困る・大変だ」です。大切な言い方ですので暗記してください。

第三段落《迎え入れの準備》

さて、最終段落です。ここまで読んだ後だと、最終段落はそんなに難しくはありません。

母君は、忍びますらんも心苦しからむとて、(注4)右近を召して、「今宵、殿の渡り給はんぞ。よくしつらひ給へ。行く末、頼もしきことにてあるなれば」とのたまはすれば、

母君は、(右衛門督が)こっそりといらっしゃるようなのも気の毒だ、と思って、右近をお呼びになって、「今夜、右衛門督様がいらっしゃるはずだ。しっかり準備してください。将来、期待できることなので」とおっしゃると、

「母君は、」とありますので、主語は明確です。ただ、少し後ろに「とて」があって、「忍びますらんも心苦しからむ」が母君の心中表現であることに気づかないと、少し混乱するかもしれません。

「忍びます」は、右衛門督が女君の元へこっそりやって来ることです。「忍びます」の「ます」は、現代語の「です・ます」のような丁寧ではなく、尊敬の意味です。「忍び」の主語が母君ではないことについては、この「ます」から見当をつけてください。母君だと自敬表現になってしまいますから。

ここらへん読解がうまくできない場合は、この後の母君の右近への指示内容も確認することが必要です。ここでの「忍び」の意味が、こっそりと訪ねてくる、という意味であることなどは、参考になるはずです。もっとも、ここで「忍び」を、我慢する、で解釈するとかなりわからなくなると思います。どちらも、よく使われる意味ですが、母君は今夜右衛門監督が来ることを察知していることから見当をつけたいところです。

「心苦し」は重要古語です。ここでは、こっそりやって来ようとしている右衛門督に対して、「気の毒だ」と述べているのです。「心苦し」については、単純に自分の気持ちを「つらい」と述べる場合と、他人に対して「気の毒だ」と述べる場合の二つを暗記し、文脈で訳し分けることは必須の学力です。

さて母君は女君の侍女である右近を呼び、準備を指示します。「のたまはすれば」とあるので、「已然形+ば」で主語が変わります。呼ばれた右近に主語が変わります。「行く末、頼もしきこと」というのは、右衛門督が高貴な人物なので、右衛門督と女君が結婚するならば、将来が安泰だだということです。

さればよ、今朝よりの御ありさまも、昨日の(注5)楽を弾き替へ給ひしも、心もとなかりつればとて、かくとも言はで、几帳かけ渡し、隈々まで塵を払へば、

(右近は、)思った通りだわ。(女君の)今朝からのご様子も、昨日、右衛門督が笛で、女君が琴で合奏なさったのも、気になっていたので、と思って、こうとも言わずに、几帳に布をすっかり掛けて、隅々まで掃除をすると、

「さればよ」が、口語的表現というのは前に触れましたね。「さればよ~つれば」までが、右近の心中表現です。「とて」は引用の格助詞ですね。連語と理解してもかまいません。「楽を弾き替へ給ひしも」の訳は注釈5〔楽を弾き替へ給ひしも−−−女君が唐琴で弾く「太平楽」に合わせて右衛門督が笛を吹き鳴らしたあと、右衛門督が吹く「想夫恋」(女性が男性を恋い慕うという楽曲)に、女君が弾き合わせたことをいう。〕を参考にしないと難しいでしょう。そして、右近は特に何も言わないまま、部屋の掃除をします。指示副詞「かく」の指示内容は、今夜右衛門督がいらっしゃることはわかっていますよ、ということでしょう。「払へば」で主語が変わります。しつこいですが、「已然形+ば」、です。

「蓬生の露を分くらむ人もなきを、さもとせずともありなん」とのたまへれば、

(女君が)「蓬(のような野草)が生い茂る(粗末な)家の露を掻き分けてやって来るような人もいないので、そのようにまでしなくてもいいだろう」とおっしゃると、

「のたまへれば」と尊敬語で受けていますので、主語は女君です。「蓬生」は『源氏物語』に出てきます。「蓬生」は「蓬が茂っている荒れ果てたところ」という意味で、その「露を分く」ですから、蓬に付いた露を掻き分け濡れながら荒れたところにやって来る、となります。そして女君は、誰も気やしないのにどうしてそんなに丁寧に掃除をするの、ととぼけます。「のたまへれば」が「已然形+ば」ですので主語が変わります。「れ」は完了の助動詞「り」の已然形でしたね。

「Y蓬の露は払はずとも、御胸の露は今宵晴れなんものを」とうち笑へば、いと恥づかしと思す。

(右近は)「たとえ蓬の葉の露は払わなくても、お心のうちの涙は今夜きっと晴れるだろうに」と微笑むと、(女君は)たいそう気が引けるとお思いになる。

「うち笑へ」となっていて尊敬語が用いられていません。主語は女君の侍女の右近です。「蓬の露は払はずとも」は女君の言葉を受けての右近の軽口です。

「うち笑へば」と「已然形+ば」になっていて、ここで主語変わり、「思す」と尊敬語が用いられていることから、「いと恥づかしと思す」の主語は女君です。右衛門督と付き合い始めたことを隠していたら、さりげなく侍女に「知ってますよ」と返されたので、恥ずかしく思うのも当然です。

本文はここで終ります。

問4【心情】

さて、問4は「傍線部Y『蓬の露は払はずとも、御胸の露は今宵晴れなんものを』とあるが、この言葉には右近のどのような気持ちがこめられているか。」という設問です。「右近の」とあるのは大きなヒントでした。以下に選択肢を示し、これまでの読解に基づいて明らかな間違い部分に取り消し線を付けておきます。

① 訪ねてくるかわからない人を思って掃除までしなくてもよいと言う女君に対して、部屋の塵は払えなくても心配事は払うことができると明るく励ます気持ち。

② 踏み分けられないほど蓬が茂った庭を恥ずかしがる女君に対して、庭の手入れまで手が回らなくても、きちんと部屋を掃除しているから大丈夫と慰める気持ち。

③ 訪ねてくる人もいないのになぜ掃除するのかと不思議がっている女君に対して、今夜はお客さまの右衛門督が訪れるから必要なのだと安心させる気持ち

④ 誰も来るはずはないから掃除の必要はないのにと言う女君に対して、右衛門督の訪れをひそかに待っている女君の心はわかっているとからかう気持ち。

⑤ 露に濡れた蓬を分けて訪れる人もないのにとすねる女君に対して、右衛門督を思って沈んでいる女君の胸の内を晴れやかにするための掃除なのにと反発する気持ち。

最後に問2の文法問題と問6の表現と内容に関する正誤問題です。

問2【文法(「ぬ」「に」の識別)】

問2は文法問題です。まず、該当箇所を抜き出し、下線で示します。

a 染ませ給はにや  b 琴の音やあるらん  c むべこそあなれ  d 賜ひべけれ

解答の前バラしになりますが、間違いのところに取り消しを付けた上で、選択肢を掲示します。

① a 打消の助動詞 b 断定の助動詞 c 形容動詞の活用語尾 d 完了(強意)の助動詞

② a 完了(強意)の助動詞 b 格助詞 c 断定の助動詞 d 動詞の活用語尾

③ a 打消の助動詞 b 形容動詞の活用語尾 c 格助詞 d 打消の助動詞

④ a 完了(強意)の助動詞 b 格助詞 c 形容動詞の活用語尾 d 打消の助動詞

⑤ a 打消の助動詞 b 断定の助動詞 c 格助詞 d 完了(強意)の助動詞

aの「ぬ」は、未然形「給は」に接続していますので、打消の助動詞です。次にわかりやすいのは、dの「ぬ」が連用形「賜ひ」に接続していますので、完了(強意)の助動詞です。

そうすると①と⑤が残りますが、bの「に」は、どちらも断定の助動詞で共通していますので、cが形容動詞の活用語尾か格助詞かで決まります。実はこれを決するのは漢文の知識です。普通「むべに」を古文であえて覚えようとすることはないように思います。

「宜」という漢字は漢文では重要漢字です。「むべナリ」と読んで形容動詞で、「当然ダ」という意味です。この「むべなり」が連用形「むべに」になっており、つまり、bの「に」は形容動詞「むべなり」の連用形活用語尾なのです。「宜」については、再読文字で「よろシク〜べシ」と読み「〜スル方ガヨイ」という意味であることも覚えておきましょう。

もし、漢文の知識を応用して解くのではない、とするならば、文意から「むべに」とは状態を意味しているようだと見当をつけて、それならば格助詞というより形容動詞の連用形活用語尾と考えた方が妥当だろう、と判断することになると思います。

なお、bに関連して、「〜にや」「〜にか」とある場合、その「に」は大半、断定の助動詞「なり」の連用形だということを覚えておきましょう。試験に出やすいところです。

問6【表現と内容】

問6は、「この文章の表現と内容に関する説明」として正しいものを選ばせる設問です。これまでの読解を前提に、消去法で解答していきます。

① 「浦風」「海」とあるように都から遠く離れた場所が舞台となり、「波の音」などの聴覚に訴える表現やの「蓬」などの自然の描写によって東国のひなびた情趣が表される一方で、「琴の音」を響かせる女君のみやびな風情が対比的に描かれ、都人である右衛門督が女君に心ひかれるいきさつが明らかになっている。

「蓬」というのは「蓬生」というように、粗末な家について述べているところでした。よって不適切です。また「東国のひなびた情趣」と「女君のみやびな風情」が「対比的」に描かれているところもありません。

② 敬語を重ねて高い敬意を表す「染ませ給はぬにや」「調べさせ給ひて」「入れさせ給ふとて」のような表現が都人の右衛門督に対してのみ用いられ、東国暮らしの女君には用いられていないことから、二人の身分の差がはっきりわかるようになっており、身分違いの恋に試練が待ち受けていることを予感させている

二重尊敬は右衛門督以外にも弟君に対して用いられていました。「のみ」という限定が不適切です。また、確かに身分差は明らかですが「身分違いの恋に試練が待ち受けている」という内容を読み取らせるのは無理があるでしょう。

③ 「人目」「人をしづめ」「人もこそ見め」など、他人を意識する右衛門督と女君の様子が繰り返し描かれることと、そのやりとりの合間に母君や右近の察しの良い反応が差し挟まれることによって、周囲の「人」に認めてもらうことを恋の成就の重要な条件と考える右衛門督たちの心が読み取れるようになっている。

右衛門督と女君は、この恋を知られないように振舞っていましたので、「周囲の「人」に認めてもらうことを恋の成就の重要な条件と考える右衛門督たち」が不適切です。

④ 女君と右衛門督とが、「唐琴」「小犬」「香箱」に添えて贈り合う歌の言葉が、Aの「あひみて」「かなしけれ」「心ならひ」からBの「別れ」「かなしさ」「心まどひ」へとつながり、さらにCの「別れ」「心のまどふ」へと受け継がれており、互いの歌の言葉に応えながら少しずつ心を通わせていく二人の心情の変化が描かれている。

前文に書いてあったように、二人はすでに関係を持っていますから、「少しずつ心を通わせていく二人」は無理があります。

⑤ 女君と右衛門督のやりとりに敏感に反応し行動する母君や右近の様子とは対照的に、右衛門督に求められて「思はずながら」琴を取り寄せてしまう下総守や、「小さき犬をこそ、賜ひぬべけれ」「犬をこそ、まゐらすべかめれ」などの言葉に喜んで知らないうちに文の使いをさせられている弟君の様子が、巧みに描かれている。

母君は扇から、右近は女君の様子から、二人の関係を疑っていました。しかし、下総守や弟君は上記の通り、手がかりがあっても全く気付いていませんでした。よって、この選択肢が正解です。

以上、2013年度センター本試験国語の第3問古文『松陰中納言物語』の解説でした。

ずいぶん長かったと思います。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

(2013.5.4.旧HP一部改定)

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