こんにちは。
8月10日の月曜日、「大学入試改革先取り対応セミナー」(主催:日本教育新聞社・株式会社ナガセ)に出席しました。
そのセミナーでの分科会で「アクティブ・ラーニングの取り組み紹介」に参加し、「明日から大学が存在しなくなったら今と同じことを生徒に勉強させるか」「『まなぶ』の対義語と類義語は何か」「高校・大学で生徒に学んでほしいことは何か」という質問を隣の先生と話し合うなかで、「まなぶ」ということについて「こうありたい」という気持ちが固まってきたので、まとめます。
まず、「まなぶ」という言葉が、自分にとってはずいぶんと静的なイメージだった、ということに驚きました。自分で行動する前段階としての、知識の習得や考えの整理、何かを自分のものにする前に他者の知見を借りること、私にとっての「まなぶ」ということはそういう面が強いものでした。
行動することを自分としては大切にしていたつもりだったので、「まなぶ」ということも行動のなかで捉えていたのですが、そこには分離があり、それは行動する前の「学び」であり、それ自体は止まっているなかで行うものだったようです。
しかし、あらためてそういった考えを見つめてみると、何か違う、何か物足りない、という気がしました。もちろん、講師の塩瀬先生という方が、例えば、人口動態の変化やドバイの劇的な変化、世の中に存在する仕事の変化、などの情報を与えてくださったことも大きく影響していると思います。しかし、それ以上に、数日間、セミナーの時のインスピレーションを自分と結びつけていくなかで、はっきりと言葉になってきたように思います。
「かわる」ために「まなぶ」、という思いが強くなっています。変わりたい、という気持ちのなかで、学んでいく一つ一つのことを通じて、前に進んでいく、変わっていく、つまり「まなぶ」過程が「かわる」ということそのものである、というようにまなんでいきたいと思います。